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東京地方裁判所 昭和52年(ワ)8223号 判決 1983年2月24日

原告

第七商工株式会社

右代表者

橋谷文八

右訴訟代理人

山田幸男

被告

冨岡耕三

右訴訟代理人

渡辺綱雄

小村義久

被告小宮山英蔵承継人

小宮山ミサ

外三名

右被告承継人四名訴訟代理人

伊坂重昭

小林宏也

本多藤男

長谷川武弘

被告

小澤今磨

右訴訟代理人

榎本精一

桜井陽一

田中守

井上晋一

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

一  請求の趣旨

1  被告らは原告に対し連帯して金七七〇二万九四八〇円およびこれに対する昭和五二年一月一六日から支払済まで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者の地位

(一) 被告冨岡耗三、訴外小宮山英蔵は訴外手塚興産株式会社(以下、手塚興産という。)の取締役、被告小澤今麿は手塚興産の取締役であつたが、同人らの右役員就任、辞任の時期は次のとおりである。

(1) 冨岡耕三

就任 昭和四七年七月三一日

辞任 昭和五一年九月二九日

(2) 小宮山 英蔵

就任 昭和四九年八月一七日

辞任 昭和五一年九月二日

(3) 小澤今麿

就任 昭和四七年三月三一日

辞任 昭和五一年七月五日

(二)(1) 仮に、訴外小宮山英蔵の取締役就任が、手塚興産の株主総会の決議を経ていないとしても、同人の承諾の下に同社の商業登記簿に取締役として昭和四九年八月一七日から昭和五一年九月二八日まで登記されていたものであるから、善意の第三者である原告に同社の取締役でないことを主張することはできない。

(2) また、被告小澤が昭和四九年七月三日に手塚興産の監査役を辞任したとしても、辞任登記のなされたのは昭和五一年一〇月一日で、それまでは善意の第三者である原告に対し、右辞任を主張することはできない。

(三) 右訴外小宮山英蔵は本訴継続中の昭和五四年六月二六日に死亡し、被告小宮山ミサ、同小宮山英一、同池田良子、同小宮山和子が右訴外人を相続し、その義務を承継した。

2  原告と手塚興産間の取引と原告の蒙つた損害

(一) 原告は昭和五一年三月二九日から同年七月九日までの間に別紙手形目録1ないし12の手塚興産振出の約束手形を同目録記載の割引日に各受取人、各裏書人を経由して、各割引金をもつてそれぞれ裏書譲渡をうけ現に所持している。

(二) また、原告は昭和五一年八月四日手塚興産に対し金四六八五万円を貸付け、その支払のため右手塚興産より別紙手形目録13の手形を振出交付を受けた。

(三) 手塚興産は昭和五一年一〇月四日東京地方裁判所に対し会社更生手続開始の申立をし、同年一二月一六日同裁判所において会社更生手続開始の決定がなされ、その結果、原告は別紙手形目録記載の手形全部について支払いがえられず、同目録記載の割引金三〇一七万九四八〇円及び貸付金四六八五万円の損害を蒙つた。

その後、更生会社手塚興産から原告に対し更生計画案により昭和五五年より同六二年までの八回割賦により総額一五五二万四〇七八円の弁済が予定されているが昭和五五年八月三一日に一〇万円が支払われた。

3  粉飾決算と被告らの責任

手塚興産は昭和四七年一月の決算期以降各期に別表記載のとおりの損失が累積していたにもかかわらず、被告冨岡及び訴外小宮山英蔵は手塚興産の各期の貸借対照表に別表記載のとおりの虚偽の利益を計上し、被告小澤は監査役就任後の右各期の粉飾決算をいずれも適正である旨監査報告し、原告はこれを信頼して前項の手形割引及び貸付けをなしたため、前記損害を蒙つたのであるから、被告らは原告に対し商法第二六六条ノ一二第一項後段に基く損害賠償義務がある。

4  放漫経営と被告らの責任

(一) 別紙比較損益計算書記載の如く、手塚興産の第一五期(昭和四八年一月決算)以降の各期の支払利息は売上高の一〇%を超えており、各期の売上高から売上原価を差引いた売上利益に近いものであり、さらにこれから販売費管理費を差引いた営業利益を遙かに上回つており、その営業の規模に比して借入金が過大で、これに伴う多額の金利負担がその経営を圧迫していたのであるから、手塚興産としては昭和四九年当時、少くとも遊休資産の売却、関連会社への貸付金の回収、不要不急の新規投資の回避等に努め、金利負担を減少させ経営の健全化を図るべきであつたのに、その努力を怠つたばかりか、かえつて、次のとおり、土地の取得、設備投資、関連会社への貸付、研究開発等の不要不急で同社の能力を超えた新規投資をなして金利負担をより増大せしめ、運転資金の逼迫を招来させ倒産するに到つたものである。

(1) 土地の取得

① 昭和四九年六月

千葉県船橋市小野田町

三九八八平方メートル

価額 六、一〇〇万円

② 昭和五〇年二月

茨城県水海道市天満町

八七六平方メートル

価額 三、一六七万円

③ 昭和五〇年八月

茨城県水海道市菅生町

一万六四九一平方メートル

価額 一一、〇〇〇万円

④ 昭和五一年三月

佐野市出流原町

二万〇八六一平方メートル

価額 三、〇〇〇万円

(2) 設備投資

① 昭和四八年一二月より昭和四九年四月船橋工場新設

金額 五六、三九七万円

② 昭和四九年下半期

船橋市小野田町の土地

(前記(1)①の土地)

埋立造成費五、九七五万円

③ 昭和四八年一二月より昭和五一年一月

本社及び般橋工場における鉄化石利用による駐車場、建物防音壁等工事費 一一、七二七万円

(3) 関連会社への貸付

(昭和四九年以降)

① 城東自動車練習所

四七、五三二万円

② 黒瀬工業 二三、七一六万円

③ ジャパンインチスクラップ

一、〇二四万円

(4) 研究開発費(昭和四九年以降)

約一〇〇、〇〇〇万円

(二) 被告冨岡及び訴外小宮山英蔵は、手塚興産の取締役として同社の健全経営のため万全の意を用うべき職務上の忠実義務があるから、同社の代表取締役による前項のような放漫な経営を監視し阻止すべきであるにもかかわらず、重大な過失によりこれを怠つたものである。

(三) 被告小澤は、手塚興産の監査役として業務監査権を有し、かつ取締役会における意見陳述権をも有するのであるから、同社の代表取締役の前記放漫投資を職務上監視する義務があるにもかかわらず、重大な過失によりこれを怠つたのである。

二  請求の原因に対する認否<以下、省略>

理由

一(当事者の地位に対する判断)

1  原告の請求原因1(一)(1)記載の事実は、原告と被告冨岡との間においては争いがない。また、<証拠>によると、訴外小宮山英蔵は、父小宮山常吉が手塚興産の代表取締役手塚国利から依頼されて同社の取締役に名を貸していた関係で、常吉の死後、同社の専務取締役手塚信利の依頼を受けて、同社の取締役となることを承諾し、同社は右英蔵の取締役就任につき株主総会の決議を経ることなく、昭和四九年八月一七日同社の商業登記簿に取締役就任の登記をしたが、右英蔵が右取締役辞任の意思を昭和五二年九月二日表明したので、同月二八日その旨の登記を了したこと(但し、英蔵が手塚興産の取締役就任を承諾したことは当事者間に争いがない。)また、被告小沢は、右手塚信利の依頼を受け昭和四七年一月末頃手塚興産の監査役に就任することを承諾し、同年三月三一日就任の登記がなされ、同四八年三月再任されたが、手塚興産から第一六期(昭和四八年二月から同四九年一月迄)の決算書の提出がないため監査ができないことから、同四九年五月頃、同社に辞意を表示し、同年七月三日同社に辞任届を郵送し、同社においてこれを受理したが、同社は被告小沢は八千代信用金庫の会長で社会的に信用があり、自社の監査役から同人の名を外すとすると、取引先への自社の信用に影響することを懸念して、これを握りつぶし、昭和五〇年六月一八日には無断で重任の登記をし、同五一年一〇月一日にはじめて辞任の登記をしたことを認めることができ、右認定に反する証拠はない。

2  右事実によると、訴外小宮山英蔵は、手塚興産取締役に適法に選任されたとは認められないし、また、被告小沢は昭和四七年三月三一日に手塚興産の監査役に就任し、同四八年三月再任されたが、昭和四九年七月三日辞任したので、それ以降は監査役であつたとは認められない。しかし、右小宮山英蔵については手塚興産の商業登記簿に自社の取締役として昭和四九年八月一七日から同五二年九月二日まで登記されており、また、被告小沢は同社の監査役として昭和四七年三月三一日から同五一年一〇月一日まで登記されていたので、このような場合、果して、手塚興産と取引し、同社の倒産により損害を蒙つたとする原告が、同社の取締役及び監査役に対して商法二六六条の三に基づき損害賠償請求をするにあたつて、右小宮山英蔵及び被告小沢を同社の取締役または監査役として主張しうるか否かが問題となるので以下検討する。

(一)  まず、前記認定事実によると、小宮山英蔵は、手塚興産の取締役就任について承諾し、前記就任の登記に承諾を与えたものであるから、同人については商法一四条の規定類推適用により自己が取締役でないことをもつて、善意の第三者に対抗することはできないと解すべきところ、前掲証拠によると、原告は善意者と認めうるから、右英蔵は原告に対し右登記の期間手塚興産の取締役ではないと主張することはできない。

(二)  次に、被告小沢については前記認定事実によると、被告小沢が辞任した昭和四九年七月三一日以降も同五一年一〇月一日まで手塚興産の監査役の就任登記があり、また、<証拠>によると、被告小沢は、昭和五〇年五月三一日に監査役に重任された旨の登記があるが、被告小沢が右重任を承諾しなかつたことは右辞任の事実に照らして明らかであるから、昭和五〇年五月三一日から同年一〇月一日までの監査役重任の登記については、全く手塚興産が無断でなしたものであつて、商法一四条を類推適用しても自己が監査役でないことを善意の第三者に対しても対抗しうる関係にあり、したがつて、被告小沢は原告に対し、昭和五〇年五月三一日以降は手塚興産の監査役でないことを主張しうる。しかし、被告小沢が監査役を辞任した昭和四九年七月三日から右昭和五〇年五月三〇日までの間、被告小沢は原告に対し、手塚興産の監査役でない旨を主張できるか否かにつき考えるに、手塚興産は右期間被告小沢の監査役辞任の登記を怠つていたものであるが、かかる場合において、原告が、被告に対し手塚興産の監査役として、商法第二六六条の三、第二八〇条による損害賠償請求をするについても、商法一二条の類推適用があり、辞任登記がなされない以上、被告として自己が監査役を辞任したことを善意の第三者に対抗できないと解すべきである。

そして、前掲証拠によると、原告は善意の第三者にあたると認められるから、被告は右期間、原告に対し、自己が手塚興産の監査役でないことを主張することはできない。

3  以上の事実によると、原告主張のとおり、被告冨岡は昭和四七年七月三一日から同五一年九月二九日まで手塚興産の取締役の地位にあり、また、小宮山英蔵は昭和四九年八月一七日から同五一年九月二日まで同社の取締役の地位にあつたと解しうるし、また、被告小沢については昭和四七年三月三一日から、同五〇年五月三〇日まで手塚興産の監査役の地位にあつたといわざるをえないから、以下、同人らの右期間における手塚興産の取締役または監査役として商法第二六六条の二、第二八〇条所定のその職務を行うにつき悪意または重大な過失により原告に損害を与えたか否かにつき検討する。

4  なお、請求原因1(三)記載の事実は、原告と被告小宮山ミサ、同小宮山英一、同池田良子、同小宮山和子との間で争いがない。

二(原告と手塚興産間の取引と原告の蒙つた損害に対する判断)

<証拠>によると、請求原因2記載の事実を認めることができ(但し、手塚興産が昭和五一年一〇月四日東京地方裁判所に会社更生手続開始の申立をし、同年一二月一六日同裁判所により更生手続開始の決定がなされたことは、当事者間に争いがない。)、他に右認定に反する証拠はない。

三(粉飾決算と被告らの責任等に対する判断)

1  <証拠>によると、次の事実を認めることができる。

(一)  手塚興産は昭和三三年三月資本金二〇〇万円で設立され、順次、増資され昭和四八年八月資本金一億六三五〇万円となつたこと。同社は、昭和四二年鉄化石と称する塵介の梱包処理プラントの一号機を完成して以来、公害防止産業として脚光を浴び、圧縮・破砕によるゴミ処理機器プラントの売上では業界第一位の地位を占めるに至り、該プラントの売上が同社の営業の中心であつたこと、

右プラントの販売先は、殆んどが地方自治体であつたところ、同社は、東京都知事許可(特―19)登録番号15706号により(特)機械器具設置工事、(特)清掃施設工事についての元請業者としての登録をうけ、該登録業者として「建設業法二七条の二第一項の規定により経営に関する客観的事項の審査」のため、毎年五月末日迄に「経営事項審査申請書」の提出を義務づけられ、工事種類別完成工事高、貸借対照表、組織変更、合併、譲渡等が東京都による審査を受けており、他の地方自治体に対するプラント納入についても、毎年「入札参加資格登録申請」を行う必要から、当該地方自治体にも財務諸表の提出が義務づけられていたこと、

(二)  手塚興産は、昭和四六年頃から経営成績が悪化していたが、決算上の赤字を明らかにすると地方自治体からのプラント受注の資格を失うのみか、融資金融機関等の協力も失うおそれがあるので、経営の実態を糊塗するために第一四期(昭和四六年二月から同四七年一月)から第一九期(昭和五〇年四月から同五一年三月)に亘り、同社プラント事業部において別表のとおりの粉飾決算を行つたこと、粉飾は経費に計上してある種目を損失として計上せずに研究開発費として組み替え計上したり、同社プラント部門における仕掛り工事を全部完成として売上計上したり、架空売上を計上する等により行なわれたこと、

このような粉飾決算書類の作成は手塚興産の経理部門及び財務部門の部課長四名と専務取締役手塚信利が行ない、作成した決算書全体を取締役会を開催して検討したり、承認を得る等の手続はとられず、昭和四九年、同五一年には決算書の原案を決める役員会は開催されたが、それが真実のものとして説明され、粉飾を匂わす言動は一切なされなかつたこと、

原告は、右決算書の記載内容を真実であると信じて、手塚興産の業績は良好であるとの判断の下に前記認定のとおり、昭和五一年三月から同年七月にかけて本件各手形を割引き、同年八月四日に本件貸付をしたこと、

(三)  被告冨岡は昭和四七年五月埼玉銀行業務第二部調査役から同銀行の融資先である手塚興産に出向を命ぜられ、当初は、同社の企画審査室長として得意先からの苦情や公害問題、輸出処理の問題等を同社顧問に相談処理する等の仕事をし、昭和四七年七月同社取締役に就任し、同年一二月中旬取締役営業部長となつたが、同人は銀行からの出向社員であり、プラント等についての専門的知識を欠いていたことから同社の営業について直接関与することはなく、同社長手塚国利の同社プラントの売込等に随行し、客の接待など専らその補佐的な仕事にあたり、経理・財務については直接関与させて貰えず、前記のような売上げの架空計上についての相談や粉飾についての説明を受けることがなかつたこと、また、被告冨岡の給与は、同人が昭和五一年九月に手塚興産を退職するまでの間、すべて埼玉銀行から支払われていたこと、

(四)  手塚興産の実質的な株主は、その九〇パーセントを同社代表取締役手塚国利が、その9.3パーセントを手塚信利が、1.7パーセントを手塚富子がいずれも所有し、他は全く名義上の株主に過ぎず、同社長手塚国利一族の圧倒的な支配のもとに経営が行われ、文字通りのワンマン会社であつて、従前から実質的な株主総会を開いたことはなく、また取締役会員を招集して議決にあたる正式な取締役会が開催されたこともなかつたが、昭和五〇年九月に国税局の調査が行われた際に、役員による決裁関係が法に基いて行われていないことを指摘され、同社においては昭和五一年三月頃から漸く取締役会を正式に開催するようになつたこと、

(五)  昭和五〇年一一月頃、大手の取引先である三菱商事が手塚興産の業務監査を行つたことから、昭和五一年三月頃には、被告冨岡も、同社の経営内容に不信を抱くようになり、埼玉銀行検査部と話し合い同年七月には埼玉銀行が手塚興産の経理の内部監査に入つたこと、

右埼玉銀行の調査後、手塚興産の融資金融機関である埼玉銀行、平和相互銀行、取引先で大口の債権者でもある三菱商事、住友商事の四社は、手塚興産を協調して支援することに合意し、被告冨岡が同社の手形振出の監視にあたることになり、昭和五一年九月から同月二七日までその任にあつたが、同社の売上げが低下する中で、その後、右四社の同社再建に対する意見の調整がつかず、他方で、本件手形を含めての同社の手形の濫発が順次発覚するに至り、同社の資金繰りに対する不安が強まつたため、同月二八日、埼玉銀行は手塚興産に対する今後の融資を中止し、被告冨岡も同月二九日同社取締役を辞任し、埼玉銀行に復職したこと、

(六)  訴外小宮出英蔵は、手塚信利の依頼を受けて手塚興産取締役就任の登記を許諾したのであるが、取締役としての報酬は一切受けておらず、また、同社の取締役会や株主総会に出席したことも、同社の決算書類の送付を受けたり説明を受けたこともなく、その他、同社の業務に一切関与したこともない、いわゆる名目的取締役であつたこと、

(七)  被告小澤は、昭和四七年三月手塚興産専務取締役手塚信利の依頼を受けて同社の監査役に就任し、同四八年一月末の第一五期の監査にあたり、同社の池内経理課長、岸本取締役から同期の決算書類の説明を受け、更に手塚興産本社において手塚信利専務、手塚国利社長と会つて同社の経営が好調であり、業績は悪くない旨の説明を受け、同社経営顧門の金田、経理担当の黒田から事情を聞き、経理上特に問題が認められなかつたので右決算書を承諾し、その際、借入金が多いことから、将来金利負担の為に会社の経営が困難になるおそれがある旨、取引銀行が多すぎるためかえつて銀行の信用が得られないので整理した方がよい旨及び事業拡大の為に過大な投資をしないことが経営上必要である旨の注意を同社専務等に対して為したこと、

手塚興産の第一六期(昭和四八年二月から同四九年一月迄)決算については、同社の専務取締役手塚信利が、昭和四八年春頃からのインフレのため同社の中心事業であるプラント部門の採算が悪化して同社の累積損が著しく増加したが、それを正確に反映した決算書類を作成すると同社の信用が失墜し、打撃を受けることを憂慮し、利益計上した粉飾した決算書類を同社経理、財務の部課長に作成させ、さらに、監査役被告小澤の監査によつて、これを発覚することを避けるため、同人からの再三の決算書類持参の督促に対しても曖昧な返答をしてこれに応ぜず、それのみか、同人に無断で右決算書承認の監査報告書を作成したこと、

そこで、被告小澤は手塚興産の右態度からみて、同社の業務及び経理の監査は不可能と判断し、昭和四九年七月三日前記一1のとおり監査役を辞任したこと、

右認定に牴触する証人手塚信利及び同島矢礼二の供述部分は前掲各証拠に照らして措信できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  ところで、以上の事実によると、手塚興産が昭和四七年一月の決算期から昭和五一年三月の決算期(昭和四九年に決算期を三月に変更したため、同年は一月と三月の二回の決算期となつている。)にかけて、別表記載のとおり各決算書の損失をかくして利益を計上した、いわゆる粉飾決算をし、昭和五一年三月期での累積粉飾金額は二二億〇四七五万円余に達し、同社の資本金が一億六三五〇万円であることに照らして、粉飾額がいかに莫大なものであるかは明らかであり、原告が手塚興産の前記決算書の記載を真実とし、業績良好との判断の下に、同社振出の本件各手形を割引いた昭和五一年三月二九日から同年七月九日及び原告が手塚興産に融資をした昭和五一年八月四日当時においては、手塚興産は早晩倒産を免れ得ない状態にあつたといわざるをえないから、手塚興産の右粉飾決算書に職務の執行として悪意または、重大な過失によつて関与した手塚興産の役員が原告に対し、商法二六六条の三、第二八〇条所定の損害賠償責任を負うことは明らかである。そこで、以下被告冨岡、小宮山英蔵、被告小沢が、これの粉飾決意にいかなる地位でいかに関与したか、また、同人らにそれにつき悪意または、重大な過失があるか否か等につき考える。

(一)  前記認定事実によると、被告冨岡は、手塚興産の昭和五一年三月の決算期当時、同社の営業担当の取締役である埼玉銀行からの出向社員であり、担当業務外であることから、前記粉飾決算書の作成には関与しておらず、また、右決算書が、手塚興産の取締役会で承認決議されたものでもないため、被告冨岡がこれに関与する機会もなかつたことが認められる。しかし、右決算書は、本来代表取締役または担当取締役において作成後、取締役会の承認決議を得て株主総会に提出される筋合のものであるから、取締役会に右書類承認の手続がなされないとすれば、取締役会を構成する取締役としては、自ら取締役会を招集するか、または招集権者に招集を求めるかして、取締役会において右決算書が適正なものであるか否かを検討すべき職務上の義務があると解すべきところ、被告冨岡において手塚興産の取締役として、右職責を果したとは認められないので、この点につき被告冨岡に重大な過失があると判断せざるをえない。

しかしながら、前記認定事実によると、右粉飾決算書は、手塚興産の専務取締役手塚信利が、経理、財務部門の部課長四名を使い、極秘裡に作成したもので、被告冨岡に対しては、同人を介して同社の大口融資の金融機関である埼玉銀行にこれらが明らかになることを極力避けるため、同人を同社の経理、財務には関与させなかつたのみか、営業担当の取締役とはいつても、その実質は、顧客の接待等に限定された職務しか与えず、しかも、右決算書に、右手塚信利らによつて、八代信用金庫の会長である被告小沢が監査役として監査し適正であるとの、偽造の同人記名の記載がなされている等、極めて巧妙な手段が講じられていたことからみて、仮に、被告冨岡が手塚興産の取締役として、その職務を遂行し、同社の取締役会が開催され前記決算書が右取締役会で検討されたとしても、被告冨岡において右決算書が虚偽であることを探知しえたとは認められない。したがつて、被告冨岡の取締役としての職務違反と原告の蒙つた損害との間には相当因果関係がないといわざるをえない。

(二) 小宮山英蔵は、前記のとおり商法一四条の類推適用により手塚興産の取締役の地位にあつたとされるものであり、前記認定事実によると、同人は手塚興産から一切報酬を受けておらず、同社の業務にも関与していない、いわゆる名目的取締役であつて、右決算書の作成に関与していないことが認められるが、前記被告冨岡で述べたとおり、小宮山英蔵についても、手塚興産の取締役会を構成する取締役として、右決算書承認のための取締役会の招集、または招集権者に招集を求め、取締役会において、右決算書の適正について検討すべき職務上の義務があると解すべきところ、小宮山英蔵が右職務を怠つており、これにつき重大な過失があつたと判断せざるをえない。このことは、小宮山英蔵が名目的取締役であるとしても、右義務は取締役の商法上の取締役会を通じての代表取締役に対する監視義務に基づくものであるから、別異に取扱う理由はない。

しかしながら、右粉飾決算書は、手塚興産の専務取締役が数名の者を使つて極秘裡に作成し、しかも、経済界では信用のある被告小沢が右書類につき、監査役として監査をし、その内容が適正である旨の虚偽の記載をなす等極めて巧妙な手段が用いられているところからみて、仮に、小宮山英蔵が、取締役としての職務を遂行し、取締役会で右決算書が検討されたとしても、同人において、右決算書が虚偽であることを探知しえたとは到底考えられない。したがつて、小宮山英蔵の取締役としての職務違反と原告の蒙つた損害との間には相当因果関係がないといわざるをえない。

(三)  被告小沢は、前記のとおり昭和四七年三月三一日から同四九年七月三日まで手塚興産の監査役の地位にあり、また、昭和四九年七月四日から、同五〇年五月三〇日までは商法一二条の類推適用により監査役の地位にあつたものとされるが、前記認定事実によると、被告小沢が同社の決算書を監査したのは、昭和四八年一月の決算書(昭和四七年二月から同四八年一月まで)のみで、その後のものは、同社より提出がなされないため監査できないままであることが認められる。

(1) そして、前記認定事実によると、被告小沢の監査した昭和四八年一月の決算書には三億六五七二万円の粉飾があり、被告小沢においてこれを見ぬけなかつたものの、被告小沢は監査結果として、借入金の金利負担が多く、事業拡大の過大投資をしないよう適切な注意を付してこれを承認しているが、被告小沢としては、右決算書監査当時は、昭和四七年三月三一日に監査役に就任して、未だ、手塚興産の業務内容に精通していない時期であり、右決算書については、これを作成した同社専務取締役手塚信利等関係者による計画された巧妙な虚偽の説明がなされたことからみると、同人が監査役として右粉飾を見ぬけなかつたことにつき、その職務の遂行につき重大な過失があつたとまでは断じえない。

(2) また、前記認定事実によると、手塚興産の昭和四九年一月及び同年三月の決算書については、右手塚信利らが、作成した粉飾決算書が、被告小沢の監査によつて暴露されることをおそれて、被告小沢の再三にわたる関係書類の提出督促に応ぜず、その結果、被告小沢の右決算書に対する監査の機会を失わしめたものであることからみると、被告小沢において右書の監査ができなかつたことにつき、監査役としての監査業務の執行につき重大な過失があつたとはいえない。

(3) さらに、前記認定事実によると、昭和五〇年三月の決算書は、被告小沢において、前記(2)の事態から手塚興産の監査役として同社の業務及び経理の監査は事実上不可能であると判断して昭和四九年七月三日に監査役辞任の意思を表明し、手塚興産の監査役としての地位を退いた後に、右手塚信利らにより粉飾作成されたものである。

ところで、被告小沢としては、右監査時には商法一二条の類推適用により手塚興産の監査役としての地位にあつたものとされるのであるが、右類推適用を認めるのは、商法二六六条の三、第二八〇条に基づく第三者の監査役に対する損害賠償請求についても、善意の第三者と辞任したが、その旨の登記のなされていない監査役との利害調整を図る必要からで、かかる観点からみると、監査役に右法条所定の任務懈怠があるといえるためには若し、同人が当時の事情下に監査役として在任していた場合に、その任務を遂行できたか否かということから、判定すべきであり、これを本件においてみると、被告小沢が、仮に監査役の地位に留つていたとしても、手塚興産の専務取締役手塚信利等が、被告小沢に対し手塚興産の決算書類及びそれが監査に必要な資料の提出をなしたとは到底考えられない。したがつて、被告小沢としては右期の決算書の監査は不可能であつたといわざるをえないから同人に商法二六六条の三、第二八〇条所定の監査役としての任務懈怠があつたということはできない。

3  してみると、原告の被告冨岡、小宮山英蔵、被告小沢に対する手塚興産の粉飾決算を理由とする損害賠償請求に、いずれも理由がないといわざるをえない。

四(放漫経営による手塚興産の倒産と被告らの責任等に対する判断)

1  <証拠>を総合すると、

(一)  手塚興産は昭和六年六月手塚国利が個人事業としてプレス工場を建設し、国利棒炭の販売を始めたのをその創始とし、その後株式会社手塚高圧プレス製作所に右個人事業が改組され、昭和三三年三月株式会社手塚高圧プレス製作所の全営業を継承して手塚興産が設立されたもので、手塚興産は右設立以来、スクラップ処理プレスについて数々の特許を取得しながら、八幡製鉄、川崎製鉄、住友金属などへの大型処理プレス機械の納入や、国内のスクラップ処理業界におけるプレス機械の納入実績を重ねた結果、その市場における占有率は七〇%に達し、特に、カーベキュープラント、電気炉プレスなどの特許製品は、広く国外にまで設置され好評を博すに至り、昭和四一年九月には、破産会社日本鋳鋼株式会社の工場を六億五千万円で買収し、新たに、その営業品目であつた製練・鋳鍛、工作機械加工の各部門に進出し、同時に本社を江東区大島に移転し、その後、同社の業績は拡大の一途を辿り、昭和四七年には西武グループと共同で首都環境整備会社を設立し、産業廃棄物処理等を手掛け、海外に於てもベルギー・コミニエール社、イタリァ・ウォージントン社とゴミ処理プラントの販売提携を結び、かつ、昭和四八年初頭には、これら海外からの引合に対すべく、オランダ・テイルパーク市にヨーロッパ事務所を開設し、昭和四九年一月にはプラント生産の主力工場を船橋市に新設して大規模生産体制を確立したこと、

(二)  ところが、昭和四八年後半から四九年にかけての石油ショック後のインフレによる粗材の高騰から、同社の製品を七割値上せざるを得なくなつたため製品の販売が不振となり、同時に、同社のゴミ処理プラントの顧客である地方自治体もその財政難のためにその発注を差し控える傾向が現われ、同社のプラント部門も業績が低下するに至り、加えて、鉄鋼部門が設備の老朽化のため連続して赤字を出すに至り同社の経営を一層苦しいものにしたこと、

(三)  他方、手塚興産は、東京都から、昭和四七年一〇月頃、同社所有の前記大島工場の土地を防災地域に指定して買上げる旨の話があり、同都所管課担当官による強い協力要請があつたため、同社は右大島工場の移転を決定し、昭和四八年九月二〇日工業再配置・産炭地域振興公団から一八億円の融資を受けて茨城県水海道市に移転用の土地を購入したところ、昭和五〇年末に至つて、突然、東京都から資金難を理由に右大島工場の買収を中止する旨の通知を受け手塚興産としては右融資を受けた一八億円の金利の負担に喘ぐことになり、資金繰りが一挙に逼迫するに至つたこと、

(四)  右のような状況下で、手塚興産は、プラントメーカーの宿命である納期の長期化に伴う資金需要を、金融機関からの借入、商社からの資金援助、発注主からの前受金によつて調達していたが、前記(二)のように石油ショックのため、製品の販売不振のみでなく、概に受注したもののキャンセルも続き、その結果在庫が増加し、昭和五一年九月末には金融機関及び大手商社による協調融資が不調となりさらに、主たる取引銀行であつた埼玉銀行が同社に対する融資を打切り、同年一〇月五日の支払手形約五億円の決済が不能になり、同月四日会社更生手続開始の申立をして事実上倒産するに至つたこと、

が認められ、右認定に反する証拠はない。

2  ところで、原告の主張によると、手塚興産は昭和四八年一月の決算期以降各期の支払利息が売上高の一〇%を超え、これが経営を圧迫しているのであるから、昭和四九年時に、遊休資産の売却、関連会社への貸付金の回収、新規投資の回避に努めるべきなのに、船橋市内、水海道市内の土地の取得や、設備投資等、同社の能力を超えた新規投資をなしたため、更に、金利負担が増大し倒産に至つた旨主張するが、前記認定の事実によると、確かに手塚興産の倒産原因がその莫大な借入金による金利圧迫によることは明らかであるが、そのような事態に陥つた事由は、昭和四八年後半に突如として発生した石油ショックに基因するもので、これによる資材高騰による製品価額の著しい値上、経済界の世界的不況による需要の減退に加え、東京都の大島工場の買上方針の突然な解消による新敷地購入資金一八億円の新たな金利負担等、経営者として通常は予想できなかつた主要事態の発生によるもので、手塚興産の右事態に対応する前記認定の措置に放漫経営があつたと評価するのは酷といわなければならない。このことは、いかに被告冨岡、小宮山英蔵が同社の取締役として、取締役会を介して同社の代表取締役らの行為を監督していたとしても、他によりよい結果を生じたとは到底考えられないし、また、被告小沢が監査役としてその業務監査権を行使していたとしても結果は異なるものではない。

したがつて、被告冨岡、小宮山英蔵、被告小沢が、原告に対し放漫経営を理由とする商法第二六六条の三、第二八〇条に基づく損害賠償責任を負うことはない。

なお附言するに、仮に手塚興産代表取締役手塚国利等の前記対応が、経営者としての通常の注意義務に反するものがあり放漫経営として評価されるとしても、手塚興産は手塚国利一族がその全株式を所有し、同人のワンマン会社であつて、仮に、被告冨岡及び小宮山英蔵が同社の取締役として取締役会を介して適切な指示監督をしたとしても、同人がこれに応じて対応を是正したとは考えられないし、また被告小沢が監査役としてその業務監査権を適切に行使したとしても、同人がこれに応じたとは、既述のとおり、経理監査に必要な決算書類等の提出すら拒否した事実に照らしても期待できない。

したがつて、この観点からみると、原告の蒙つた損害と被告冨岡らの右任務懈怠の行為との間に因果関係を欠くものといわざるをえない。

五よつて、原告の被告らに対する本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(山口和男 笠原嘉人 丸地明子)

(別紙) 手形目録、別表<省略>

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